株式会社 鎌倉設計工房
藤本幸充
地図上で伊豆半島先端の下田より北西にちょっと上がったところに松崎町があり、先日訪れた。
ここには左官の名工、伊豆の長八の作品と資料を展示した美術館があり、完成時訪れてからもう40年近くなる。
今回は、前回端折った、江戸末期から明治にかけ活躍した入江長八の鏝絵と海鼠壁の町並みが目的。
宿泊したのは町内の旅館「山光荘」。
客室になっている蔵座敷には窓辺の袖壁や軒天井に青竜、白虎、雀の鏝絵(漆喰のレリーフ)が。海鼠壁の外観と相まって「長八の宿」と自ら称えるだけのことはある、由緒正しい旅館。
横浜で見ることの少ない海鼠壁とはラチスフェンスの様なクロスした外壁仕上げのことで、黒いタイル状の平瓦の間に白漆喰を盛り込む蒲鉾状の目地の形が海鼠(ナマコ)に似ているところからきている。
今回街中で拝見した中で気になったのは、当初のオリジナルの後を修復した現代の左官職人の腕が、残念ながらかなり落ちてること。海鼠の形がツルッとしておらず、形も縁のラインがジグザグだったりする。この点、町外れにある旧岩科学校(明治13年完成)のナマコと格段に違う。最も、国の重要文化財に指定されている建物、ナマコの比較は土俵が違うかも知れぬ。
目地部をよく見ると形はわずかに中央が膨らみ、より海に住む海鼠に近く、また立体的にも中央が僅かにむくっている。白漆喰壁に籠められたアーチ型窓や白いバルコニーなど洋風のしつらえと相まってその繊細さ、上品な印象は心に残る。
ここにも長八の作品があり、玄関上の唐破風懸魚の龍は長八が大工のノミを借りて木を彫ったとされ、2階鶴の間は色彩に溢れ、床の間の壁は漆喰にベンガラを混入した赤、床脇壁は緑、四周の欄間壁には淡い水色に鶴、138羽の鶴が左官鏝ではなく、あたかも筆で書いた様な緻密さで表現されている。
一方長八美術館に隣接する伊那下神社の宝物殿には大理石の左官表現や、老人の手の小皺まで表現された漆喰人形、またその向かいにある浄感寺の天井左官絵「八方睨みの龍」など長八の勢いはとどまる所を知らない。
長八は特別なのかもしれないが、元々左官職人には形を整える芸術的才が求められ、ゆえに長八のような更なる才能の発露を目の当たりにできるのかもしれない。
今日、建築設計において壁の仕上げはビニールクロスではなく自然素材の漆喰を使うことは多い。その下地に今まではボード類であつたが、今後は調湿作用のある土壁を加えてゆきたい。
真夏の見学会であったが、土壁の蔵や海鼠壁の家を訪れ、居心地が違う事、また左官職人と刺激し合っていいものを創りたいのがその理由である。
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