ken-ken inc., 一級建築士設計事務所
建築家 河辺 近
横浜の開港以来160年近くが経過し、いまだに海外を学ぶことを学問とし、日本の文化の本質を知ろうとしない。
日本には日本の美意識があり、加える(華美に)という作業では無く、削ぎ落とした中に見るそのものの本質や精神、研ぎ澄まされた時間の中に日本ならでわの美意識を感じるのではないだろうか。
千利休の弟子、山上宗二の書の中で、「40~50歳ともなれば師と西を東と違えてするなり、茶を若くするなり」とある。師が西向きに茶を喫するなら、弟子は反対の東向きに、そうすれば茶は若くなる。と言っている。師に逆らい反対のことをするば破門となるが、そうは教えなかった。だからといって、闇雲に反対のことをすれば良いということではない。それは「15~30歳までの間は師の教えに従え」とある。この時期に習った茶の基本であるストイックで創造的な思想は変えることなく、表現は創造的に行うということであろう。
千利休の基本的な美はストイックであると同時にアイロニカル(屈折した)な思想でもある。その思想は、建築においては京都の山崎にある国宝「待庵」に見られる。花においても「床の間には四君子(梅、蘭、竹、菊)は生けない」とし、華やかで君子的な花は生けないというのである。また利休の師である武野紹鷗は、藤原定家の和歌「見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋(とまや)の秋の夕ぐれ」を読んで、茶の心とはこの心だとした。また、能において世阿弥(ぜあみ)は「花はしおれたるがよし」とし、美しい花が少ししおれかけたところがもののあわれを感じさせてよい、としている。池坊専応(せんおう)は、「花を生けずして花を生けよ」と言っている。これは美しい花に頼って花を生けるのではなく、花を切り落とした枝と葉だけでも己の美学(創造力)で美しい花を生けよ、と言うのである。
これらのことは、茶や花・能・和歌・俳句等における美も、茶室「待庵」における建築としての美も、ストイックで創造性に富んだ同じ思想であることを表している。
茶室「待庵」は、千利休の美学の一つである「どこにでもある粗末な一見つまらないもの(素材や色彩)で面白いものを造る」という思想によって造られている。「待庵」は最後の仕上げを行わず藁苆(わらすさ)の出た中塗り止りの土壁や、銘木とは程遠い大きな節が3つもある床框、赤太や白太がまざり木目の流れた床柱等々によって構成されている。どうして、これだけ粗悪な材料で「待庵」を造らなければならなかったのか。それは、自分の能力への挑戦でもあり、美学の絶対を信じ切った創造活動であったに違いない。また、池坊専応の「花を生けずして花を生けよ」の美学、そして定家の「見渡せば、、、、」のない花によって、みすぼらしい浦の苫屋を目に美しく見せるのではなく、心に美しく見せようとしたものである。
銘木・銘土・銘石といった美しい材料で美しい建築を造ってみたところで、美しいのは当然のことであり、自分の力で勝ち得た美ではない。神によって与えられた美しい素材に頼った美しい建築が、勝手にできたと言っても過言ではないだろう。本来、千利休の思想からすれば、銘木・銘土・銘石とはごく普通の材料のことである。しかし、現代では表面的に美しい材料へと移行しており、そこに問題がある。そこを見ている目に頼らず心に呼びかけ背景を読み解くことが大切なのではないだろうか。
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