家族の歴史をつくる 家

こんにちは!  ”暑さ寒さも彼岸まで” の言葉通り、すっかり秋になりました。

すごいですよね。昔の人は・・・

AA STUDIO 「自分の暮らしをデザインしよう!」 今月は、家と家族について考えてみたいと思います。

昔の童謡に「背くらべ」 ”柱の傷は一昨年の? 5月5日の~~♪” という歌がありますね。何故去年でなく一昨年なのか? はさておき、、、今の家には柱がない家が多いですね。家というのは、本来その土地風土の材料で建設されていたのですが、(食べ物も同じですが)今や、何時何時も世界中どこでも同じ建築材料が手に入れられる時代になり、技術進歩、情報・輸送機の変化やマーケットなど社会環境の変化が、本来の気候風土に基づいてつくられていた住形式を変化させてしまいました。昔は、柱、梁で真壁で構成されていた日本住宅ですが、いまや柱を被う大壁で ‘柱 ‘ が消えてしまった日本住宅が多くなりました。もう一つなくなったものは、 ‘軒 ‘ ですね。軒の話はまたとして・・・

‘柱 ‘ が無くなるということは、日本の住宅が、床の文化から壁の文化になってしまったということです。日本の住宅は、本来 ‘柱・梁 ‘ で構成されている架構式で開放的な造りです。それに比べて面で構成される欧米の住宅は壁で囲まれる閉鎖的な造りです。この「背くらべ」の ”柱の傷は一昨年の~5月5日の~~♪” という一節は、まさに日本の一昔の家を唱っているのですね。そして、その ‘柱 ‘ に子どもの成長を記しながら家族の変化を刻んでいる。何とも温かいほっこりとした気持ちになる一節です。あたかも、家が家族の歴史を刻み、家が家族の歴史を知っているように思えます。

大変恐縮ですが、私自身のことを書きます。我が家は25年前に自分で設計しましたが、その時は私の父母。そして私達家族4名、息子と娘が小学生でした。それが25年経過し、父は他界し、こども達は成人し巣立って家から離れました。今この家にいるのは、母と私たち夫婦の3名。6名だった家族ですが、3名です。この我が家族の変化を知っているのは、我が家なのですね。 “家政婦は見た!” ではありませんが、 “家は見た! 家族の歴史を” 今は家族の変化により当然家の使われ方も変わっています。その日々の暮らし方に私自身も悩みながら、変化する家族と家と付き合っています。

また数年前、木造スケルトン大規模リフォームを手がけました。土台、柱、屋根を残してほぼ改修するリフォームでした。構造、設備の事を考えますと、建て替えた方がいいかもしれないくらいでしたが 「父が造った家、家族の思い出が詰まった家に新しい思い出を造りたい。大好きな玄関の雰囲気をどうしても残したい!」 というお施主様の強い意向によりリフォームとしました。

家は単にすまいのハコとしてあるだけでなく、そこに人の暮らしを包含している器なのです。家をつくるということは、そういうことかもしれません。つまり、変化する日々の暮らしをつくる。『家族の器』をつくるということ。

どんなにすばらしいハコ=家ができても、そこでのあなたらしい暮らしが展開できなければ、単なるステキなハコで終わってしまいます。

実は「家づくり」は、自分の暮らしを考え、『家族の器』をつくることです。

建築家は家の構造・工法・暮らしの温熱環境などを考え、それぞれの敷地やすまい手に合うハコを提案しますが、その奥にはすまい手の暮らし『家族の器』を提案するのが私たち建築家の仕事です。

家づくりは、自分の暮らしをデザインする=自分の暮らしをえがくことから始まります。

まず、ご自分の暮らしをデザインする「暮らし力」をつけてみましょう。

自分の暮らしをデザインするには、何から始めたらたらいいのでしょうか?

どんな家が欲しいではなく、どんな暮らしがしたいか?を考えることです。

家は究極の自己表現ですから、許される限りわがままになってください。>br />

「暮らしを大切にデザインする」横濱元町AA STUDIOの建築家は、そのわがままを聞くことからはじめます。

是非 自分の暮らしを探しに横濱元町AA STUDIOにいらしてくださいませ!

横浜・神奈川|暮らしをデザインする建築家|AA STUDIO

神奈川県、横浜市の建築家を中心とした建築家グループ。住宅や各種施設設計の経験豊かな建築家メンバー自らで運営し建築家の紹介、建築家コンペのコーディネートなどの各種サービスを行っています。

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